終わりと始まり。

2013.03.05

__久々の更新になります。アーティザナル横内です。
今回は、少し長く書きます。

さる3月1日は、サロンにとっても私の人生にとっても、大きな転機を迎えていました。
念願だった、株式会社設立とそれに伴って社会保険加入。それを同時にスタートさせた日でした。

会社名は、Yocouchi&Co.。

名付けた意味は、直球です。
私と仲間達で作る会社という意味です。

仲間には、スタッフは勿論ですが家族や、友人、お付き合いのある業者さん等々。私を取り巻く環境の中で、関わる全ての人達と一緒にこのYocouchi&Co.という名の会社をこれから作っていくという思いを込めて。

私自身が、いつまでも素直で謙虚に周りの方々に、感謝の気持ちを忘れないように。
そういう思いで、名付けています。

ここまで辿り着くまで、美容師を志して14年。ようやく本当のスタートラインに立てた気がします。

14年間、本当に色々ありました。

14年というか、その前も。まさか、自分が社長になるなんてあの当時には考えられなかった話です。
私は、こういう事を書くのも、なんですが生まれ育った環境に、決して恵まれていたわけではありません。私の家庭は、私が産まれてすぐに、理由があって両親が離婚をし、私の母親は女で一つで、私達兄弟を育ててくれました。3人兄弟の末っ子で、当時2~3才ぐらいで夜、仕事に出掛ける母親にいつも、泣いてしがみついて離れようとしなかった事が、私の記憶の始まりです。

少年時代も、本当に色々ありすぎて大変でした(笑)
まぁ、そんな幼少期から色々と体験出来たのが、今の自分の基本になっているし、だからこそ人の心の痛みがわかったり、察する力がついたので結果的にラッキーでしたけど!!まぁ、壮絶過ぎてここでは詳しく書けませんが(苦笑)
そうして、高校に入学して。この高校ってのが地元でも有名なバカな高校で。こんな風に書いたら怒られるかも知れませんが(笑)クローズの鈴蘭よりは、ちょっとはましかなぐらいのレベル(爆)

入学式終わったら、もうトイレでケンカになってるような(笑)そんな高校。

自分ではそんなにグレてるつもりはなかったけれど、何度も学校から呼び出されて、先生に頭を下げる母親の姿が、印象的な高校時代でした。

そんな学校なもんで、この未だに学歴社会な日本。まぁ簡単に言っちゃえば、底辺です。だけどね、なぜかこの頃から、なんか絶対やってやる!!って諦めてなかったなぁ。なにを、やるのかわかんないけど絶対、やってやるって思ってました(笑)若者特有の根拠のない自信みたいな、俺ならやれるみたいな。
まぁ、のちに何度も、何度も挫折するんですけどね(笑)

とにかく、大学なんてどこも行けないし、でも就職するのなんて嫌だったし(自分がやりたくない仕事を無理矢理やるのは。)、じゃ~、どうすっかなと。

洋服好きで、音楽好きで尚且つモテたい(笑)自由にやりたいって思って、最初は洋服屋かなとも思ったんですが、この時ばかりは放任主義だった母親が猛反対して、「じゃ、なんだったら良いんだよ!?」って聞いたら、「美容師なんか良いんじゃない?」って。それで美容師目指したんです。全然、不純な動機です、最初なんて。

それで、母親にも迷惑掛けたくなかったから、夜間の美容学校に進学。学校見学なんか行かずに、場所で決めて。

そう「原宿」。
たまたま、原宿に美容学校があったので、そこに即決。
絶対、場所は原宿が良くって。どうせ、オシャレ目指すんならトップの所から、せめてやるって感じで。住むとこは、流石に原宿は無理だから、じゃ「代官山」!!つって、代官山の不動産屋に、金髪の18才の高校卒業したてのガキが、「部屋借りたいんすけど!!」って。
んで、不動産屋さん、「代官山って幾らぐらいで住めると思う?」って聞いてきて、「俺、金無いんで5万でなんとか!!」って。「ん、無理。」って即答。
でも、一人で田舎から来た18のガキを見かねてか、凄い親身になってくれて部屋探してくれて。結局、もうちょっと先の「学芸大学」って駅の目黒区五本木で、一人暮らしを始めて。ボロい、本当ボロい部屋だったなぁ、しみじみ。でも、初めてチャリで駒沢通りを恵比寿方面に向かって、あの旧山手とぶつかった所の、エヴィスに着いた時は感動したなぁ。「うお、俺チャリで代官山来ちゃったよ!!」って。

そんで、昼間は工事現場に派遣されるバイトで、現場で働いて夜、学校行って遊んでって。それなりに苦労したけど、充実した専門時代でした。

そんで、就職。

絶対、働くなら原宿って決めてて。で、決まったのがフランス人がオーナーのサロン。そこでも、ドラマみたいな話があって。
その時、既に80人ぐらい面接してたらしいんですが、みんな落とされてて。(後で知った。)それで、自分の面接の日。夜からだったんですが、その日に限って、工事現場の仕事先が柏で。荷物の搬入が遅れて、時間が押しちゃって、少し遅刻しちゃったんです。もうアウトだなと。それに、時間なくて着替えらんなくて、薄汚れた作業着だったし、ヘルメットはバックにぶら下げてるし。

でも、その姿が逆に良かったというミラクルが!!

「なんで、その恰好なの?」って聞かれて「実は、実家がカクカク、シカジカで苦労掛けたくないから、工事現場で昼間働いて、夜間の学校行ってて・・・」って、説明したらそれが気に入られて、即採用(笑)
「そんな思いまでして、美容師を目指してるなら、うちに来い!!」って。ただ、金なかっただけなんだけど(笑)

そこから,全ては始まって・・・・・・・・・・・・・・・・。

そして、今現在。

様々な、出会いと別れ、苦労や楽しかった事、迷惑かけた事、嬉しかった事、騙した事、騙された事、本当に色々とありました。

ここに、少しだけ書いたように私も決して、楽な道のりではありませんでした。全部、自分で判断し、行動してその都度、助けてくれる人、協力してくれる人、色々な方々のお蔭で今の自分がいます。

結構、お客様やスタッフ、友達に聞かれます。

「どうして、横内さんはそんなにポジティブなんですか?」と。

それは、こんなに苦労した私よりも、もっともっと苦労して自分の人生を子供達のために、捧げたうちの母親の背中を見て、育ったから。

いつも、辛い時、挫けそうな時はいつも、酔っ払いの相手をして嫌な顔せず、毎晩休みなく働き続けている、母親の姿を思い出します。

だからね、1万円の価値を私は他の方々よりも、わかってるつもり。親に金出させて、自分は苦労してないやつらなんかよりも。

そんな、母親に育てられたら、そんな色々な経験をしてきたからちょっとやそっとじゃ、悩まないんです。もっともっとご苦労を重ねて、生きてらっしゃる方々も大勢いらっしゃいますから。

ダサく生きたくない。カッコつけて生きていきたい。せっかく生きてるなら、命を懸けて生きていきたい。そう思っています。

本当、こういう事を書こうか書かないか迷ったけど、色々、迷ったり落ち込んだりしている方々へ。

諦めなければ、願い続けて、行動し続ければきっと、必ずいつかきっと夢は叶うと思います。

3月1日は、今までの自分との決別。そしてこれからの挑戦への始まり。
今まで、関わった全ての方々、本当に有難う御座いました!!!!!

そして、最大限の感謝の思いと、この第一段階の成功を私の母親に送ります。

私は、他の誰かになんと言われようとも、これからも自分の夢を追い続けます。まだまだ、夢の途中ですから!!

長くなりましたが、読んで頂いて有難う御座いました。

2013年3月5日   Yocouchi&co.株式会社
代表取締役社長 横内 尚樹

Categories|NAOKI Yocouchi

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